こんにちは、コロモビト.です
日本国内に多く存在する繊維産地の歴史や特徴、名物・名産品などを、皆さんと一緒にめぐりながら探訪する「繊維産地の旅」。
今回の旅の目的地は、新潟県栃尾(とちお)・見附(みつけ)産地です。
前回は山形県の米沢産地に訪れました。まだご覧になられてない方はぜひそちらもご覧ください。
それでは、さっそく新潟県へ出発しましょう!
多種多様の素材を扱う複合型産地
栃尾・見附は共にニットの産地として有名で、特にセーターの生産量はメンズ・レディース共に全国1位です。ニットだけではなく織物の生産にも長けており、天然繊維から化学繊維、合成繊維まで、トータルファッション産地として発展しています。
もともとの栃尾・見附は、江戸時代後期から明治時代初期にかけては、ニットではなく織物の産地で、「栃尾紬(とちおつむぎ)」や「見附結城(みつけゆうき)」といった織物が有名でした。
では、栃尾産地へ向かいましょう。
栃尾(とちお)~新潟県~
栃尾のソウルフード、きつね色の分厚い油揚げ
引用:SHUN GATE
新潟県栃尾を代表する名物と言えば「あぶらげ」。栃尾の方言で「油揚げ」のことを「あぶらげ」と呼びます。一般的な油揚げの約3倍の大きさが特徴で、あまりの大きさに厚揚げと見間違う人もいるそうです。
栃尾紬の歴史
引用:長岡造形大学
100%紬糸で織り上げられる栃尾紬は、絹織物ありながら程良く光沢が抑えられ、渋く趣のある風合いが特徴です。他産地の紬は緯糸にのみ紬糸を使用するのに対し、栃尾紬では経糸・緯糸の両方に紬糸を使用しています。紬糸は節(ふし)をたくさん含み毛羽立っているため、織る際に非常に高度な技術を要します。
栃尾紬の起源と産地のはじまり
貴渡神社(たかのりじんじゃ)彫刻
栃尾紬の創製者大崎オヨを織姫、植村角左衛門貴渡を翁に見立て、養蚕から機織りまでの過程を絵巻物風に語り継ぐ彫り物が施されています。
引用:栃尾めぐり
今から約1800年前、垂仁天皇の皇子が栃尾郷高志の国造となり、その妃が守門岳の天然の繭(まゆ)を採って里人に織物を教えたのが起源とされています。
江戸時代中期、1782年に天明の大飢饉が起きました。飢饉により疲弊した村落経済を立て直すために、庄屋の上村角左衛門は絹織物を奨励しました。そのころ、栃尾縞紬の祖である大崎オヨが織りはじめた、デザイン性の高い縞模様の紬を機に、「栃尾紬」の人気は上昇していきます。
上村角左衛門は大崎オヨから技術を学び、農村家内工業から始まり、地域一帯に普及し日本全国各地に出荷、栃尾を代表する名産品となりました。それが今の栃尾の繊維産業のルーツとなっています。
只今ちょっと休憩中
豆選さんでの油切りの様子
引用:SHUN GATE
大きな穴は美味しさのしるし。
栃尾の「あぶらげ」には大きな穴があいています。これは、一枚一枚手揚げをしたあと、金串に刺してしっかり油切りをしているためです。こうして油を切る事で、油ぬきをせずに材料本来の味を楽しむことができるのでした。
見附(みつけ)~新潟県~
「ここが新潟県のどまんなか」と書かれているガスタンク
引用:Wikipedia
新潟県の真ん中に位置する見附市は「新潟のへそ」と呼ばれています。
見附結城のはじまり
昭和8年ごろの工場
引用:いいとこミッケ!
江戸時代後期から明治時代にかけて、綿織物として全国に名を馳せていた「見附結城(綿織物)」。
綿織物が見附で盛んになったのは、このあたりを支配していた村松藩の家中婦女子が内職として行っていた、木綿糸の生産がきっかけとされています。
藩は政策として木綿糸の生産を奨励し、製品として織物産地として知られる結城(茨木県)に売り込みました。あるとき、糸の中に粗悪品が混じっていたため、結城は糸の買い入れを停止し、見附は糸の販売先を失ってしまいます。
困った村松藩は見附の商人に命じ、余った糸を使って織物を生産することを指示しました。
下野(栃木県)から高機(たかばた:手織機)の織子を招き、 結城からは染色職人を雇い、綿織物の生産を開始します。その後、この織物の評判が高まり「見附結城」と呼ばれるようになりました。
栃尾・見附のニット産地となる転機
戦時は物資が不足
引用:エコノミストOnline
第二次世界大戦に入ると、あらゆる物資が軍事最優先となり、これまで産地を支えてきた綿もその例外ではなく、織物の製造や販売が禁止とされました。
さらに、追い打ちをかけるように企業整備令(※)が発動されると、転業や廃業が続出し、産地の規模は縮小の一途をたどることとなります。
戦時中の障害にもめげず、織物業者が横編機を導入し創業したことが、ニット産地になった発祥と言われています。
※企業整備令
1942年に公布された、国家が諸企業を整理・統合し、再編成を指示する法令。
ニット産地として発展
新潟県・第一ニットマーケティングの工場
引用:WWD
終戦後、1950年代ごろからニット製品ブームが起きると、編立機の進化と共に生産量は年々増加していきました。その後も高度経済成長の波に乗り、ニット産地としてスケールを拡大。現在では、五泉市、見附市、長岡市(旧栃尾市)が代表的な産地として、それぞれに特徴のあるものづくりが行われています。
五泉市がレディース向け製品を中心に日本一の生産高を誇り、見附市はメンズ向け製品の生産量が多く、長岡市(旧栃尾市)がスポーツウェアや高級車向けスピーカーネットなど多様なニット製品を生産。単一織物産業としての産地から、織り、編み、アパレルまで関連分野を網羅するトータルファッション産地として飛躍し続けています。
旅のふりかえり
新潟県といえば「お米」を思い浮かべる方が多いと思いますが、国内有数のニット産地であるとは驚きましたね。なかでも見附市のニット熱は高く、春と秋の年2回「見附ニットまつり」が行われており、市内外から多くの人が訪れる見附市の一大イベントとなっています。
五泉ニットの品質表示タグ
引用:Gosen Knit
セーターやカーディガン、マフラーや手袋など、誰もがひとつは持っているニット製品。お手持ちのニット製品の品質表示タグに「MADE IN JAPAN」と書かれていたら、それは新潟県でつくられたものかもしれませんね。
それでは次回、群馬県桐生編でお会いしましょう!