日本全国ぶらり繊維産地めぐり旅~米沢編~

こんにちは、コロモビト.です

突然ですが皆さんは、日本国内には高度な技術を有する繊維産地が多く存在していることをご存じでしょうか?

洋服はもちろん、我々の生活に欠かすことの出来ない「繊維」。

アパレルではデザインや見せ方などが目立ってしまい、素材そのものの価値や、繊維産地の情報がほとんど知られていないのが現状です。

そこで今回は、日本国内に多く存在する繊維産地の歴史や特徴、名産品などを、皆さんと一緒にぶらりめぐりながら紹介していきたいと思います!

日本には繊維産地がいくつ存在する?

北は山形県米沢から、南は福岡県博多まで、なんと16もの産地が存在します。

東日本
①米沢 ②栃尾・見附 ③桐生 ④富士吉田
⑤天龍社 ⑥遠州 ⑦三河 ⑧尾州

西日本
⑨北陸 ⑩湖東 ⑪泉州 ⑫丹後
⑬西脇 ⑭三備 ⑮今治 ⑯博多

それでは最初の旅の地、米沢へ出発しましょう!

①米沢(よねざわ)~山形県~

引用:米沢観光Navi

山形県米沢の名産と言えば、米沢の味ABCと呼ばれる、舘山りんご(Apple)、米沢牛(Beef)、米沢鯉(Carp)。そして多くの名物料理があります。なかでも大正時代に、中国人の屋台で売り始めたらーめんが発祥とされる「米沢らーめん」は、米沢市内だけでも100軒を超えるらーめん店があり、米沢市民のソウルフードとして長年親しまれています。

米沢織の歴史

明治から5代続く米沢織の織元「株式会社 新田」さんの工房

引用:360° Yonezawa Open Factory

日本国内の繊維産地の中で、最北に位置している米沢産地。米沢織の特徴は自然の染料を使った「草木染」。紅花などの植物染料を使った、風合い豊かな先染織物が有名で、「縮(ちぢみ)」という技術が導入されています。強い撚(よ)りをかけて強度を高めた糸で織られており、「しぼ」と呼ばれる細かなしわが表面に出ているのが特徴です。

米沢織のはじまり

上杉神社(米沢城跡)にある上杉景勝と直江兼続の像

写真:攻城団

米沢織の歴史は、なんと400年以上前の慶長5年まで遡ります。
関ヶ原の合戦で敗れた上杉景勝は、会津(現在の福島県)から米沢に移封され、領地は4分の1に減らされることとなります。そのため、多くの家臣を養うには領内の産業発展が最重要課題だと、景勝の重臣であった直江兼続は考えました。

左:青苧(麻織物の原料) 右:紅花

引用:米沢繊維協議会

従来からの特産品であった桑(くわ:蚕の餌)、青苧(あおそ)や紅花といった、繊維に関わる植物を藩が買い上げることで奨励し、それを製品化して全国へ販売することで見事発展を遂げました。

江戸時代に多く使われていたという「いざり機」

引用:WOOD EGG GARDEN

それから約200年の時を経た江戸後期、本格的な米沢織として開発したのは第9代米沢藩主上杉鷹山(ようざん)でした。当時の米沢藩は莫大な借財をかかえて、身動きが取れない状態でした。
藩主になった鷹山は困窮する藩の財政を立て直しを目指し、当時の先進地であった新潟県の小千谷(おじや)から、縮(ちぢみ:麻織物)の技術を導入し、武家の女性たちの内職として機織りを習得させました。これが米沢織業の発祥とされています。

米沢織は、以前からあった青苧を原料とした麻織物から、養蚕が盛んになるにつれ、より高級な絹織物の生産が中心となり、出羽の米沢織として全国に名声を馳せることになります。

ちょとより寄り道

上杉神社(米沢城跡)にある上杉鷹山の像

引用:米沢観光Navi

「なせば成る、なさねば成らぬ、何事も、成らぬは人のなさぬなりけり」という言葉を聞いた事はありますでしょうか?
これは現代語に訳すと「どんなことでもやろうと思って努力すれば、必ず実現できる。逆に、無理だと思ってあきらめ努力をしなければ、絶対に実現できない」と言う意味になります。
実はこの言葉、鷹山が残した言葉なのです。

困難な状況を前にしても、この言葉のように「必ず藩を立て直すんだ!」と決意する鷹山の姿を想像すると、なんだか胸が熱くなりますね。

米沢織の発展

左:西野式足踏み力織機(米沢織物史より)
右:明治・大正時代のジャガード六寸帯(米沢織物歴史資料館所蔵品)

引用:米沢繊維協議会

明治25年の米沢絹織物業組合の設立後、大正~昭和にかけて力織機の発明や、ドビーやジャカードの発明などで生産設備が飛躍的に発展を遂げることとなります。そして化学繊維の開発にも取り組んできました。

帝人創業者の秦逸三の像(右)と、道を隔てて上杉鷹山の像(左)が上杉神社近くに立っている

引用:AERAdot.

大正時代、米沢高等工業学校応用化学科の講師であった秦逸三が、日本で初めて人工絹糸(レーヨン)を発明します。同氏はこれをきっかけに帝国人絹糸(現在の帝人株式会社)を設立し、米沢は天然繊維と化学繊維の総合産地としての名声を高めました。

この発展の背景には、天然繊維唯一の長繊維である絹の扱いを得意とする技術が、絹織物を模したレーヨン織物を生産するのに大きく影響していたと推測が出来ます。米沢同様に、北陸の富士吉田や桐生といった産地においても、絹織物産地から化合繊織物の産地へと変遷を遂げています。

現代でも「米沢織」は、男物の袴や女性のスーツやフォーマルドレスなどにも用いられ、和洋問わず幅広く愛されています。

旅のふりかえり

400年も遡るところから話が始まるのは少々驚きましたね。最近では、大河ドラマ「どうする家康」で上杉景勝が登場していたので、お!と思われる方も多かったのではないでしょうか。

財政難を立て直すために、武家の女性の内職としての機織りが発祥だったこと、「だけじゃない。 テイジン」のフレーズでお馴染みの、帝人株式会社の誕生のきっかけなど、興味深いエピソードが盛りだくさんでしたね。

米沢産地のしめくくりとして、米沢らーめんの特徴のひとつである「縮れ麺」誕生の秘話をご紹介してお別れしようと思います。

引用:米沢麺業組合

米沢における最初の日本人ラーメン職人である調理人の常松恒夫(常さん)は、あるとき奥さんがとても大事にしていた米沢織の生地をしわくちゃにしてしまいました。悪いことをしてしまった!と、しわくちゃになった織物に顔をうずめたところ、その感触がとても良く柔らかいところから、縮れ麺のヒントを得たのだといわれています。

その後、常さんがあみだした「手もみラーメン」の技は、米沢中のラーメン屋に広がり現在の米沢ラーメンの一番の特徴になったのでした。

それでは、次回「栃尾・見附~新潟県~」編でお会いしましょう!